当たり前の対義語

サッカーとは全然関係ないかもしれませんが…

人間大人になるにつれ、色々なものを知っていくと、それまで当たり前だと思っていたことが実は当たり前でなかったことに気付くということは誰もが経験することでしょう。

私も過去いくつかそのような経験をしたことがあります。

例えば、友人の家でしゃぶしゃぶを食べるまでは、肉以外のものをしゃぶしゃぶすることを知りませんでした。田村家のしゃぶしゃぶは肉オンリーでしたので…。

同じように…鮎の塩焼きは砂糖しょうゆで食べるのが当たり前だと思っていました。

まぁもっと言えば、日本から離れたとき、日本で常識だと思っていたことが、実は世界では非常識ということは多々あったりしますし、物理学を学べば学ぶほど、社会で当たり前と思ってたものは、実は違うということも多々あります。

1+1=2

「そりゃそうでしょう!」と大多数の人が思われるでしょうが、物理学(量子力学)の世界では違います。

違っていたからこそ、半導体は生まれたし、皆さんが持っている携帯電話なども世に生まれました。

当たり前とは何か?

「当たり前とは特定の範囲でしか存在しないもの」なのです。

詭弁ですが、言い換えれば「当たり前というものは当たり前ではない。」となります。

そして、携帯電話の下りに表わされるよう、成長・発展に「当たり前」は時としてとても邪魔になります。

当たり前と思っていたものが、実は当たり前でなかったことを知る。それは言い換えれば喜びなんですよね。

自分の中で新しい価値観が生まれるわけですから。

お餅のスライスをしゃぶしゃぶしたときは衝撃的でした。それをナシにするかアリにするか?

アリにするとキャパが拡がるんですよね。それまでメモリになかった「お餅」+「しゃぶしゃぶ」+「ごまだれ」が新たにメモリされたわけです。

成長です。

私が34歳から身を置かせてもらってた学び舎・萩青年会議所(萩JC)では「JCの常識、社会の非常識」という言い伝えられてきた言葉がありました。

身を置いていたときは、組織をさげすんだ表現だと思っていましたが、実は自分の常識をぶっ壊し、キャパを拡げるためにあることだと最近気づかされます。

今となっては「ありがたい」と思えます。

そう!「有難い」のです。

当たり前だと思っていたものがぶっ壊されたとき、そこに感謝があるかないか?

普通のしゃぶしゃぶを出してくれた友人の両親にありがとう。当たり前ではない違う味わいを教えてくれてた両親に有難う。

それで人のキャパは大きくなります。

母の言葉を借りれば「我が家独自のルールを作ることは、子どもの成長にはとても大切。よそはよそ、うちはうちということをし知ってもらわないといけない。親の役目は、子どもが社会に出たときに自立するためのお手伝いなのよ。」とのことです。

違うことを受け入れられる。そして分別できる。

それが教育というものなんでしょう。

プロゴルファーの石○遼選手のご両親は、遼少年の幼年期から親元を離れるまで、美味しい白米を食べさせなかったらしいです。

理由は「将来世界で戦うなら、どこの国に行っても体を作れるように、体調を崩さないように、美味しいものじゃなくても食べれる人間じゃないとダメだ。」という考えからです。

話は変わりますが、昨日N高で試験ど真ん中のOBに出合って、萩まで送ったのですが、車中、そのOBが

「市外まで通って部活をしても、レスト時代の方が日々しんどかったから余裕をもって生活できる。」と言っていました。

当たり前でないことを受け入れるのは労力を伴ったり、ストレスがあったりしたり、苦労がありますが、だからこそやはりキャパが拡がります。

「苦労は買ってでもしろ」

使い古された言葉ですが、昔からの言い伝えられてきた言葉は、ほんと有難いものですね。

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