以前このブログで記述しましたが、育成・教育・能力開発の入り口にあるのは「聞く力」や「見る力」の情報を入れる力です。
しかしながら、最近の小学生はその力が乏しく感じます。
何故なのか?とよく思考します。
いきつくところは、環境の変化と一言で表せれるのですが、どのように環境が変わったのか?
グローバル化、価値観の多様化により、教育環境にギャップが生じているのだと思います。
教育・育成・能力開発の分野では、世界で共通するものもあれば、日本独自のもの(儒教がもととなったもの)、欧米型のものとあり、近年、学校教育はより欧米型能力開発にシフトしてきています。
だからこそ混沌しているといえばそうなんでしょうけど、決して欧米型を取り入れることがが悪いわけではありません。
確かに多様な価値観が認められた社会では、そっちの方が能力開発に適しているはデータで証明されているのですから。
ただ・・・前提が全く対極にあるところが混沌を生んでいるのだと考えます。
日本では「子どもらしくあること」を「善」とし、欧米では「子どもらしさ」を「悪」と考えるからです。
間違いなく文化による違いです。
欧米では「子どもらしい」=「人間らしくない」と考え、幼少期から独立心が芽生えるよう施します。
育成(能力開発)の現場では、独立心や自主性を育むような手法を子どもに施そうとしているのに「子どもらしくある」ことを善としている日本・・・。
全ての家庭が該当しませんが…
片や、家では「子どもだから出来ないことばかりで、多くを親がやってあげるもの」とし、片や、教育現場では「家庭で独立心を芽生えさせるようにしてあること」を前提とした育成手法を施す。
これにより「学校教育の効果が表れない子が増えている」=「能力開発が出来ないまま見過ごされている子が増えている」となっているのではないかと感じるわけです。
では、改善するには?と考えるわけですが、古くからある日本らしい育成環境を学校に求めるのは難しい・・・。
それを許さない社会にしたのも我々大人です。
となれば、親が変わるべきなのでしょう。
独立心が芽生えるように家庭教育を施さなければならない。
やってあげるのではなく、幼少より出来ることを増やせるよう施す必要があるのだと思います。
それには、知識や労力だけでなく根気と忍耐を必要とします。勇気も必要でしょう。
大変な時代となってきました…。
何となく先読みしてみますと、ロスジェネ世代がその資質を死ぬまで抱えようとしているように、現在12歳以下の子の多くもまた、その資質を抱えてしまうのではないかと感じています。
できればそうなって欲しくないですので、社会教育の指導者として、知識を入れることを止めず、あの手この手を考えながら、バージョンアップを繰り返しながら、施していかなければと思うばかりです。